実家に帰るのこと

ikami2005-02-12

 
 友人の結婚式に出席するために京都に行くので、ついでに一日実家に戻って祖母の見舞いをすることにした。うちの祖母は大正三年生まれで既に92歳である。俺の育ての親でもあるのだがたまにしか実家に帰らないのが心苦しい。
 
 実家に帰ると言えば、俺は19歳の頃に、バイク(スズキGSX-R250)で600kmの道のりを13時間かけて一般道をひた走って帰ったことがある。途中休んだのは給油が3回とモスバーガーでの食事1回の、4回のみ。
 
 今から考えると実に無鉄砲なことをしたものだが、それをやってみた理由というのは、
 
 「なんとなく出来そうだったから」
 
 13時間と言うと、朝6時に出て夜7時に到着などというのが普通だろうが、俺が千葉のアパートを出発したのは、午後2時を回った頃のことだった。実に何気なく出発したのである。まぁ、なんとかなるさ、と。
 
 午後2時千葉。湾岸道路をスイスイ。まだまだ余裕である。都内からは国道1号をひたすら走れば名古屋までは行ける計算。
 
 午後4時神奈川。既に疲れてきた。
 
 午後5時箱根。国道1号線のワインディングロードを走る。今から思えばもっと楽なルートがあったわけだが、こういう道も走ってみたかったという理由で走り続けた。途中ものすごい霧で10m先も見えなくなる。真夏だと言うのにありえない寒さで、持ってきた革ジャンが役に立った。なかなか神奈川が終わらない。一度給油。
 
 19時静岡。やはりなかなか静岡が終わらない。名古屋まで190kmとかいう標識を見て途方にくれる。左折車線を直進したのを咎められ警察官に止められそうになるがピューと振り切る。逃げの一手。途中でひたすらまっつぐの道があったので、一般道で最高何キロ/時まで出せるか試す。フルスロットルで180km/時を計測。工業地帯なのか、やたらに空気の臭いところがあった。静岡のお茶って大丈夫か、を感じた。
 
 22時愛知。すべて一般道なので当然何度も信号にひっかかる。愛知の国道1号線ではあまりに信号にひっかかりまくるので毒づきながら走っていた。モスバーガーに入る。食事も早々にまた走り始める。
 
 午前0時名古屋。既に諦めの境地。この辺で給油。しばらく休みを取ればいいのだが休むのがメンドくさいというわけのわからない理由で走り続ける。
 
 午前1時岐阜。ウインカーも出さずに左折するアホ車に接触される。少し手首を傷めた感じだが、疲労で相手にするのも面倒で「まぁお互いが悪いな」と言うアホ車の言葉にカチンと来つつもそのまま別れる。
 
 午前2時滋賀。信号待ちで「兄ちゃんどこまで行くんだい」とトラックの運ちゃんに声をかけられる。千葉ナンバーのバイクということで興味を持たれたらしい。「福井」と答えたが「あそう」と反応が薄い。だったら聞くなよと。ガソリンスタンドがなく、ガス欠の恐怖と闘いながら走る。
 
 午前3時福井。ようやく自分の見知っている場所だと分かるようになると、叫んでいた。「やったぞ、やったぞ」と。泣きそうになった。家に到着すると当たり前だが全員寝ていた。なぜか風呂は暖かかったので入る。両手ともに指先が紫色になっていた。腱鞘炎らしかった。爪の白い部分がなくなっていて、かなり不健康になった気がした。
 
 帰りは当然のように高速道路を使った。もう絶対に二度とやるまいと思った。それほど死ぬ思いをした。